これから先の2000字に渡る長い文章は毒にも薬にもなりません。
ご了承下さい。
<おりる製作委員会>
はじまり
昼すぎまで布団の中で眠っていて、いつもより体が重く気怠さが漂う成人の日の夕方。陽平からの電話に出る。僕らが遊ぶ時はだいたい彼が電話をくれて、それからどっちかの家に行く。今回は彼の家に。行く道中ローソンでコーヒーをお金を払って買った後、コーヒーを受け取らずに店を出る失態はありながらも無事家に着いた。最近読んだ愛と幻想のファシズムの話や音楽や今年の抱負とかを話してて、どんな流れかは覚えてないけど、
彼「映像と音楽でなんかやろうよ。」
僕「いいね。」
そうやって始まった。
0.はじまり
1.何する?
2.メロディー
3.デモを撮ってみる
4.冷静に
・何が面白いのか?
・どこで撮るのか?
・いつ撮るのか?
・誰を撮るのか?
・どうやって撮るのか?
5.共に下りるあなたへ
何する?
彼の音楽と僕の動画で、いざやると決まってそれから僕はどんなものを撮りたいのかをざっくりと挙げていった。その一つが「歩く」。
歩くのっていいよねと。
ただ歩いてる人を撮ってみたいってふんわりと思ってたことがあって。そこに陽平の音楽があるのを想像した。

彼の音楽は安心するリズム、耳に残るメロディー、そして優しい声。僕は中でも彼が作るメロディーが本当に好きだ。
そこに合わせる動画はアルクアラウンドとかcut to the feelingみたいなどっかで見たことあるようなMVの猿真似じゃ面白くない。
考えていると、ふと浮かんだ。
ずっと階段を下り続けるってのもいいなと。
だたただずっと下り続ける動画。
カメラを固定のアングルで人がただただ階段を下りていく。音楽も動画も繰り返し繰り返しの中毒性がある。そんなMV。
うん。面白い。
メロディー
それから彼はギターを持って弾き始めた。左手でコードを押さえて右手の指がアルペジオを奏でる。

いつの間にかメロディーが出来上がる。
いや、不思議でたまらない。何故こんなにすぐ音が綺麗に並ぶのだろうか。中毒性があるメロディーと歌詞。
きっと僕の陰にあり見えない彼の音と向き合ってきた時間の蓄積がこれを可能にしているのだろう。
作詞作曲:YOHEY
下りる下りる
ただただ下りる
せっかく登ったのに下りる
下りる下りる
ひたすら下りる
登ってないのに
下りるだけ
デモを撮ってみる
それから外に出てカメラは持ってきてなかったのでスマホで撮影。隣の部屋のヒデトサンに
「こんな感じで階段下りてくれませんか?」
ってお願いしたら、じゃあダンベル持ってた方が面白いよなって自らダンベルを両手に持ちノリノリで協力してくれた。
「下りるだけで感謝されたの初めてだよ」って笑
もちろんパソコンはないのでそのままiPhoneに入ってたRush CCで編集。大きい指でスマホの画面の細かいところは調整できないイライラを感じながらも何となく完成。
冷静に
SNSに投稿してみると思った以上に反応があるのでしっかりと考えてみる。
- なぜ階段を下りるのが面白いのか
- どこで撮るのか
- いつ撮るのか
- 誰を撮るのか
- どうやって撮るか
・なぜ階段を下りるのが面白いのか?
まず前提として、階段を“下りるだけ”そして“無音”ではつまんない。
“単純に下り続ける”かつ“音楽である”
この二つが面白いことの必須条件である。考えてみれば単純である。芸人は小ボケを重ねるし、草間彌生は●を描き続ける。面白いの種類は違えど、シンプルで簡単な何かをやり続けることには価値があるのだろう。そしてそれを集めた動画も同様に価値があると思う。
しかし、延々と餅つきの杵で臼をつき続けるような記録映像はもちろん飽きる。だから音楽が必要なのである。
すると動画を見ている人の意識は完全にMVを見ている、むしろ音楽を聞いていて、その世界観である動画が流れているという意識になるだろう。
つまり階段を下りることがそれ自体の事象として捉えられるのではなくもっと間接的に、抽象的に、俯瞰的に見ることができるのだと思う。
それがなんかバカらしい変なことやってんなとシュールで不思議な世界を感じさせるのだと思う。
さらに重要なのは「下りる」という言葉の持つネガティヴなイメージだ。「上る」の反対で、例えば登山に関しても下山時の方が事故率が高く、仕事に関しても下りることは物事を諦めるなどのニュアンスを含んでいる。驚くことにデモを聴いて
たまには下りるのもいいね。
といった声は少なくなかった。僕は嬉しかった。場所や年齢や性別は違えどみんな色々なところで、色々な方法で戦いながら生きているのだと思えた。人生の正規ルートを外れ、たまに訪れる孤独の寒波に襲われた心を温めてくれた。
そうだ。このMVはそんな人に送る応援歌であり、またそんな社会に対するアンチテーゼなのである。

・どこで撮るのか
波の上天満宮、りうぼう、 ジュンク堂、どこかの灯台、 歩道橋、病院、県庁、 那覇空港、モノレールの駅 琉大の音楽棟横、普天間神宮、、、
選んだ基準は、行ったことあってなんかいいなって思ったところ。笑
まっすぐでも螺旋でも、外でも室内でも、狭くても広くても、
そこが階段であれば。
・いつ撮るのか?
1月19日(土) 13:00〜17:00
1月20日(日) 終日
所要時間:最短5秒最長5分
・誰を撮るのか
最初こそクマみたいな男だろとか、小柄で華奢な女の子とか話してたけど、そんな設定は意味がないことに気が付いた。階段を下りることが大切なのだ。そう。
階段を下りることができれば誰でもいいのだ。
(車椅子でも自動のうぃーんて動くとこなら)
そう、今この文を読んでいるあなたでも。
・どうやって撮るのか
基本的にデモみたいな感じで。下りている人に焦点を当てるのではなく、階段を下りるという行動を単純に撮る。
これが左から右に一定方向に流れるようにした方がいいかは螺旋階段を撮ってみて実験してみるとしよう。
もちろんスマホでは暗所に弱すぎるのでちゃんとカメラで。ただボケさせる必要もないので、日中とか明るいところならスマホでも可能かな。
5.共に下りるあなたへ
今回は無駄極まりない当企画にご反応頂きありがとうございます。
そんな「一緒に階段を降りてくれる人」にご応募していただいた暇な皆様にご連絡です。
撮影日程が決まりました。
以下の日程から、参加できる日時とその時間にいるだろう場所をご連絡お願いします。
1月19日(土) 13:00〜17:00
1月20日(日) 終日
所要時間:最短5秒/最長5分
繰り返し申し上げますが、当企画はあなたのこれまでの人生において、トップレベルに無駄な経験になる事が予想されます。
ご落胆なさらないよう、心してご参加される事をお勧めいたします。
*金銭は発生いたしませんが、最後まで無事おりきれた暁には、何かいい事があるかもしれません。*
<おりる>製作委員会より