広大な東シナ海の前で、左耳のBluetoothイヤホンとお別れ。
カメラを構えようと肩紐を外した時に落ちて、草が生い茂る地面を見て軽く諦めた。
そんな事どうでもいい気がした。
−−−死にに行けるか?−−−
米軍上陸が迫る1945年1月末。
島田叡(あきら)は、沖縄県知事に赴任し沖縄に降り立った。
(当時知事はまだ官選で、国が選んだ人を中央から派遣していた。)
島田は、沖縄が戦場になることが現実味を帯びたタイミングでの辞令を受け入れ、妻を残して沖縄に来た。
−−−生きろ−−−
それから6月の県庁解体までの凡そ5ヶ月間、県民を守る為、必死の行政を行った。
疎開や食料調達など、結果として10万人もの人々が救われたと言われている。
また、当時は捕虜になるくらいなら自ら死ぬのが当たり前だったが、島田は職員にも住民にも「生きろ」と言い続けた。
彼や彼と共に最後まで職務を続けた職員達の生き方は、凄く心に響く。
−−−最期に見た景色−−−
彼が最期に見た景色はどんな景色だろう。
米軍から逃げるために、島の南へ南へ県庁を移動させながら、遂に、端っこの海が見えた時、彼はどう思ったのだろう。
そんな事を思いながら、車を走らせ、南に向かった。そして、おそらくこの辺りだろうといわれる場所から写真を撮った。
彼と職員達があの海を見て何を感じたのか。
今も変わらない海と空をファインダー越しに見ながら、シャッターを切った。






おまけ




