僕は中学生向けの塾で働いてもう3.4年になり、今年は受験生を指導している。これから先に書くことは全て僕の主観である。
システムの話
沖縄の話をすると、高校入試のシステムは内申点と学力試験が大体5:5で合否を判断するらしい。
学力が高い学校はこれが4:6の割合になる。
例えば、いくら偏差値が70とか高くても学校から(先生から)の評価、言い換えると内申点が低い生徒は受験においてその選択肢は少なくなる。
学力試験でせーので問題を解く前に戦いは半分終わってるのだ。

志望校の選択
志望校の決め方は二つある。
論理的な選択か、直感的な選択かの2つだ。
論理的な選択は分かりやすい。
①自分の持つ内申点と②プレ入試から得た自分の偏差値の2つから行ける可能性のある高校をリストアップし、そこから自分の将来に沿う学校(大学進学が必要か否か、工業か商業かなどを考慮)を選べばいい。
学校でも塾でも頼めば最良の解を与えてくれるだろう。
非常に単純だ。言い換えると人間じゃなくてもコンピューターにでもできる選択なのだ。
だって、自分はこうなりたいってのが決まってて、必要な情報を整理するだけだから。

厄介なことに
ただ本当に厄介なことに自分の将来なんて誰も分からない。
やりたい事、なりたい職業、就きたい職種、
そもそも、そんなの考えて分かる訳がないと思う。だってこの世には数え切れない程の仕事があってその種類も多種多様だ。それを全部調べ上げて、向き不向きを判断するなんて時間がいくらあっても足りやしない。ましてや中学生に。
じゃあどうすべきなのか?
自分を知る
自分自身を客観視する。好き嫌い、向き不向き、皆が知っている事から自分しか知らない事まで。まずは自分が何者なのかを知る。
その方法は探せばいくらでも出てくるからここでは触れない。
それができたなら、たくさんあった高校の選択肢を絞り込むことも、または要らない選択肢を排除することが可能になるだろう。

最後に直感で、
そして自分で選択する
あとは残ったのもの中から好きに自分で決めればいい。大切なのは最終的なこの決定権を人に頼らないことだ。
人生はあらゆる選択の連続である。
現代の日本に生まれた時点で大凡の人間は人生のレールがあらかじめ敷かれているのが分かるだろう。
そして殆どの人は小学校、中学生はそのレールをきちんと歩いてきただろう。そんな人にとって高校の選択は始めて自分自身でレールを選ぶことのできる機会なのだ。
しかし繰り返すが、どこに行くか、何を食べるか、誰と付き合うか、、、人生は選択の連続なのだ。
また歴史を勉強した人なら分かるだろう。
人間は繰り返すのが得意な生き物だ。
自分で考えず、人の意見を鵜呑みにして選択した人間がなぜ次の機会で自分の直感を信じ切れるだろうか。
現代日本にも奴隷が存在するとしたら、それは無意識的にもしくは意識的にかもしれないがシステムに動かされている人間達だろう。
何も決められない。どうしたらいいか分かんないからみんなと同じにする。そんな奴隷になるな。なんとなくで結構。自分がそう思ったならその直感を信じ切れる人間になれ。
別に直感で決めなさいって促してる訳でも、論理的に決めることを否定している訳でもない。
どうせ大事なのは選択した後に何を考え、何を成すかだから。
要は、
僕は直感を信じていいと思う。
ってこと。
