先日バーで働いていた時にお客さんが言った。

「浮気しても相手にバレなければ、それはやっていない事と同じ。浮気は気持ちが浮ついただけで、本来の軸はぶれていない。浮気をしたらその事実は無かったことであると自分で信じ込む。そうすれば、浮気をした事はだんだんと風化していき、そもそもそんな事は無かったことになる」

そんな感じの内容だ。

この手の議論は世の中にありふれているけれど、その一般解はなく映画やテレビのドラマで、ある時はツイッターでも展開される。

条件を整理すると、まず男と女が付き合っているが結婚はしていないということ。そしてその関係は自由恋愛であり、個人の感情や判断によって恋愛が許されている。また現代の日本において基本的に浮気は許されないものとされているが、暗黙の了解として人間が(基本的には男は不器用に女は器用に)浮気をすることはあり得るとされている。そして年齢についても考える必要がある。例えば10台と20代では周りの環境が圧倒的に違い同じ盤の上で議論できないので、ここでは20代前半と設定する。

そしてどこからが浮気なのかというその線引きは事実の存在つまり他の異性との性交渉(恋愛感情の有無は問わない)とし、ここでは男が他の女性とヤッたと仮定しよう。

ではまず、浮気がなぜダメなのかを考えてみる。1つ目は想像だが、一夫一婦制の副作用的なものではないかと思う。日本では法律的に一夫一婦制に従わなければならないのでそれを正義だとする時、浮気をすることは明らかに矛盾している。2つ目は人間の内面的な問題で、嫉妬心や独占欲を持つことにある。個人差はあれど、相手を愛し相手に愛された時、そこに第三者の存在があることは互いの嫉妬心や独占欲を煽ることとなる。別の言い方をすると傷つけたり不快感を与えてしまう。

恋愛を考える時にその対象である2人の事を中心考えるのは当たり前のことであるが、その周りを排除して考えるのはこの社会存在する者としてナンセンスであるだろう。

ただし、駆け落ちにあるように自らが属していた周りの社会と決別し、その愛を選択した2人だとしたらその対はお互いを最優先として考え行動するべきで、彼らにおいては浮気は許されないだろう。

さて、こう考えてみると、人間は善と悪や、真と偽があったとき必ず善を選び、真を選ぶ様な前提の元に考えていたようであるが本当にそうだろうか。

僕の生活の中にも少なからず嘘が存在し、見方によっては悪もある。興味がないことに興味があるフリをしたり、優しいフリをしたりすることは良くある。また芥川の蜘蛛の糸の盗人カンダタも蜘蛛に優しかったりと、人間には善と悪が両方存在している。(書いて気づいたが僕は自分をそもそも善人としているらしい。)

そろそろ書き疲れたので、まとめに入ると、男も女も浮気をダメとしたいのならば、自らを潔白な人間である様に行動し、それを相手に信用される関係を継続する必要がある。

バレなきゃいいのか?

バレなければいいという考え方はそもそも人を騙す事を前提としているため正義とは言い難い。つまりそれ相応のリスクを認識した上で浮気をし、隠し続けなければ愚者であり、相手にバレたならば言わずもがなその者は愚者である。

色々飛躍した気もするけど、こう結論付けよう。

福岡に向かいます。

カテゴリー: 思ったこと

1件のコメント

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